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月麗国 | |
---|---|
首都 | 天京 |
最大都市 | 天京 |
国歌 | 永い繁栄 |
国の標語 | 特になし |
公用語 | 月麗語 |
憲法 | 月麗国憲法 |
GDP | 4兆5302億ドル |
与党 | 国民民主党 |
首相 | 澄川遼 |
月皇 | 徳橿 |
政治体制 | 議院内閣制 立憲君主制 |
経済体制 | 自由資本主義 |
通貨 | 楼 |
民族 | 月沙民族 |
国教 | 廣教 桃教 |
約5万年前、月麗列島に丸木舟で侵入した天華原人は月麗で桃繪民族?となり、各地で繁栄し、2万年前には月麗列島全域に及び、月麗列島に大規模な海上帝国を築き上げた。約5000年前程前に現在の島城県与川市に当たる位置で、月沙民族?を名乗る部族が勢力を急拡大した。月沙民族は数の多い桃繪民族はいずれ月沙民族を同化させるだろうと考え、桃繪民族への民族浄化を行った。これによって桃繪民族は大幅に数を減らし、11世紀に人知れず消滅した。
紀元前2世紀頃、月沙民族は国家を作らず環濠集落で暮らしていた。紀元前236年に伝統的な宗教である桃教?の最高神・耶摩命?から啓示を受けた宗神月皇は月沙民族の集団をまとめ上げ、月国?を建国した。農業の発展による人口の増加に伴い月国は領土を広げなければいけなくなり、前123年月国の宗庵月皇?は北島地方平定の為の東征を開始し、前67年に山雷、舞鳥、北島地方、岩州を平定し月麗列島を統一した。
3世紀、天華の幽王朝?と良好な関係を築いていたが、帝朝地方の権益を巡り対立するようになる。この時代、帝朝はいくつかの国に分かれており、その中でも有力な国家が幽王朝に朝貢する倭釧国?と月国に朝貢する泰需国?である。314年、ついに緊張は最高潮となり倭釧・幽連合軍が泰需国領内に侵攻を開始し(倭泰戦争?)、国境近くの淳鯛山で激突した。(淳鯛山の戦い?)この結果、事前準備を整わせた泰需は大勝し、倭釧の田尊撫?率いる大軍が奇襲を仕掛けた事で勃発した宇潤の戦い?でも勝利を収めた。しかし泰需、月国の軍は月蛮と呼ばれる盗賊、山賊の寄せ集めだった為指揮のとれた正規軍を出陣させた幽王朝に敵わず具庵の戦い?で敗北した。その後泰需・月国は敗走を続け帝朝は倭釧中心で統一された事で趙雰の和約?が結ばれ、この戦争は月国の敗北で終わり、当時の月皇である天聴月皇?は戦争敗北の責任を取り月皇の座から退き、息子の文極月皇?に皇位を譲った。
その後約700年間月国は軍事的、経済的に安定し960-70年代の倶洞月皇?、神妙月皇?の時代に最盛期を迎えた。また、文化面では元澱、フェルダなどの南部アリア諸国の影響を強く受けており、天華から渡ってきた廣教?はその後の文化に大きく影響を与えた。
紀元前2世紀頃、月沙民族は国家を作らず環濠集落で暮らしていた。紀元前236年に伝統的な宗教である桃教?の最高神・耶摩命?から啓示を受けた宗神月皇は月沙民族の集団をまとめ上げ、月国?を建国した。農業の発展による人口の増加に伴い月国は領土を広げなければいけなくなり、前123年月国の宗庵月皇?は北島地方平定の為の東征を開始し、前67年に山雷、舞鳥、北島地方、岩州を平定し月麗列島を統一した。
3世紀、天華の幽王朝?と良好な関係を築いていたが、帝朝地方の権益を巡り対立するようになる。この時代、帝朝はいくつかの国に分かれており、その中でも有力な国家が幽王朝に朝貢する倭釧国?と月国に朝貢する泰需国?である。314年、ついに緊張は最高潮となり倭釧・幽連合軍が泰需国領内に侵攻を開始し(倭泰戦争?)、国境近くの淳鯛山で激突した。(淳鯛山の戦い?)この結果、事前準備を整わせた泰需は大勝し、倭釧の田尊撫?率いる大軍が奇襲を仕掛けた事で勃発した宇潤の戦い?でも勝利を収めた。しかし泰需、月国の軍は月蛮と呼ばれる盗賊、山賊の寄せ集めだった為指揮のとれた正規軍を出陣させた幽王朝に敵わず具庵の戦い?で敗北した。その後泰需・月国は敗走を続け帝朝は倭釧中心で統一された事で趙雰の和約?が結ばれ、この戦争は月国の敗北で終わり、当時の月皇である天聴月皇?は戦争敗北の責任を取り月皇の座から退き、息子の文極月皇?に皇位を譲った。
その後約700年間月国は軍事的、経済的に安定し960-70年代の倶洞月皇?、神妙月皇?の時代に最盛期を迎えた。また、文化面では元澱、フェルダなどの南部アリア諸国の影響を強く受けており、天華から渡ってきた廣教?はその後の文化に大きく影響を与えた。
12世紀、有力武将である天長正?(アマノナガマサ)が皇族との政略結婚により力をつけると、重い年貢や月皇の専制政治に不満を持っていた農民や武士と結託し一斉蜂起を始める準備をし始めた。長正は月皇に付け入ることで月国の国家転覆を目論んでおり、農民・武士と馬が合ったのだ。1134年、当時農民をまとめていた帆筆雄峰?と同盟を結んだ長正は共同で反乱軍を結成し、42年に朱劫府や永郎府など各地で反乱を起こした。北部は完全に長正・雄峰に制圧され、45年長正は導劉府を首都に置いた北朝月国?を建国した。
紅雲月皇?率いる南朝月国?は北朝と国境で戦闘を開始した。(侶童の戦い?)南朝も練度の高い兵を差し向け、勢力は拮抗していた。このため戦線は膠着し、玖紋川から動かなくなってしまった。50年代、北朝の長正は雄峰と後継者問題や政治方針などで意見が食い違うようになった。53年、長正は雄峰を暗殺してしまい、雄峰を慕っていた農民や武士は長正に反乱を起こすようになる。この隙を南朝は見逃さず、国境から攻勢をかけ始めた。南朝は57年首都導劉府を陥落させ、月国内の反乱は収まった。
紅雲月皇?率いる南朝月国?は北朝と国境で戦闘を開始した。(侶童の戦い?)南朝も練度の高い兵を差し向け、勢力は拮抗していた。このため戦線は膠着し、玖紋川から動かなくなってしまった。50年代、北朝の長正は雄峰と後継者問題や政治方針などで意見が食い違うようになった。53年、長正は雄峰を暗殺してしまい、雄峰を慕っていた農民や武士は長正に反乱を起こすようになる。この隙を南朝は見逃さず、国境から攻勢をかけ始めた。南朝は57年首都導劉府を陥落させ、月国内の反乱は収まった。
1486年、晋卓月皇?が即位すると、専制的な独裁政治を敷き、武士や農民を弾圧した。その結果主要都市で度々の反乱が起きるようになり、その中で反乱軍は自立し力をつけ地方武家政権となった。反乱軍はそのうち月皇や政府よりも力をつけ、武家政権で月麗列島を平定しようとする武士同士で争い始めるようになる。1530年代、初めて西洋諸国との接触も始まった。主にキャラベル船の登場や重商主義の台頭でランディカに巨大な植民地帝国を築いたウルティア帝国?やマルデーナ帝国?との貿易であり、火縄銃など西欧技術の貿易品を手に入れたことで豊民信島?将軍と岩帝御明?将軍が軍事力・経済力での覇権を握り、信島は北島地方、岩帝は南島地方で勢力を拡大した。1558年の沖原の戦い?で岩帝将軍が勝利すると仙雍幕府?中心の月麗君国?を築き上げた。
19世紀、仙雍幕府は崩れかけていた。1590年西洋から伝わったエネリク教?に影響を受けた嶋野原雲目?による余島の乱?以降、幕府体制が崩れる事を恐れた幕府は鎖国政策を固め、東洋諸国としか貿易を行わないこととした。しかし産業革命で世界中に植民地を持ち世界有数の大国となったエルティア連合王国?やアルシア共和国?がそれまで続いた鎖国体制を取り払い開国を要求し、1844年ついにエルティアのビクター・レナス?提督が天京中心地(仙雍)の港に上陸した事で不平等条約の月雄和親条約?が締結された。これを皮切りに同年アルシアとは月安修好条約?が、その他西洋列強は立て続けに月麗に不平等条約を一方的に締結させた。
危機感を持った幕府幹部弓島孝一?は近代化すべきという意見書を1845年に幕府に提出したが保守的な将軍岩帝峰原?はこれを拒否、弓島を解任した。この事実は月麗中を駆け回り、不平等条約締結による幕府の威信低下も相まって各地で内紛が勃発した。
皇政復古と近代化を目標とした反乱軍は永暁維新政府?となり、1855年ついに幕府は倒幕された。1856年永暁月皇?を君主に戴く大月麗帝国?が樹立され、1857年5月23日にはアリア州初の近代憲法である大月麗帝国憲法?を制定した。また、大川佑弥?率いる文明改新委員会?はすぐさま月麗の近代化を推し進め、近代兵器や近代的な軍隊を設立した。また、洋風な建物が天京には立ち並び、内政では首相が月皇の補佐を行う内閣制が確立した。
危機感を持った幕府幹部弓島孝一?は近代化すべきという意見書を1845年に幕府に提出したが保守的な将軍岩帝峰原?はこれを拒否、弓島を解任した。この事実は月麗中を駆け回り、不平等条約締結による幕府の威信低下も相まって各地で内紛が勃発した。
皇政復古と近代化を目標とした反乱軍は永暁維新政府?となり、1855年ついに幕府は倒幕された。1856年永暁月皇?を君主に戴く大月麗帝国?が樹立され、1857年5月23日にはアリア州初の近代憲法である大月麗帝国憲法?を制定した。また、大川佑弥?率いる文明改新委員会?はすぐさま月麗の近代化を推し進め、近代兵器や近代的な軍隊を設立した。また、洋風な建物が天京には立ち並び、内政では首相が月皇の補佐を行う内閣制が確立した。
月麗外相の木村高義?は月麗に対する不平等条約の改正に向けて西洋列強との会議を二回行っていたが、第一回、第二回とも失敗に終わっていた。1884年、三回目の会談でようやく条約改正に成功し、1886年には月麗において不利な箇所が全て改正された。
1893年、帝朝地方の権益を手に入れる為、当時帝朝の全域を支配していた帝朝王国?に併合条約書を送ったが、帝朝王国の宗主権を握っていた大霊帝国と敵対し始める。1894年3月6日、月麗軍は江督島沖に砲撃を開始(江督島沖海戦?)、月霊戦争?が勃発した。技術力・士気・練度全てで勝る月麗艦隊は帝朝・大霊の連合艦隊を壊滅させ、帝朝に上陸した。すぐさま帝朝王国林桟道の賀丘に進撃した。(賀丘会戦?)祭譲の戦い?でも勝利を納め、帝朝王国全土を掌握すると、月麗軍は山海から兎墳半島に上陸しようと考え、山海で大霊帝国主力艦隊と衝突した。(山海海戦?)結果、月麗海軍は勝利し、大霊帝国は主力艦隊の6割を失う大損害を被り、大霊帝国は制海権を失った。その後、大霊帝国は降伏し、黒山条約?が締結された。この条約の結果、帝朝、韓朗を領土に組み込んだ。また、幕府時代の従属国だった蛇蓮王国?においては1902年に月蛇併合議定書?が結ばれ月麗が県として併合した。
1905年、ルキア帝国?は東アリアに利権を得るために南下政策を推し進めていた。月麗は東アリアの利権を守るためルキア帝国と対立するようになり、同年6月7日のルキア人ヴチャーノフ?による月麗人刺殺事件?により緊張は最高潮に達する。月麗政府はルキアに最後通牒を送り、ルキアがこれを拒否したため月麗はルキアに宣戦布告し7月24日に月流戦争?が勃発した。まず月麗軍は慮州要塞を砲撃(盧州包囲戦?)、月流戦争?が始まった。盧州包囲戦と並行して行われた仁江沖海戦?で月麗軍は勝利し、陸では高春会戦?で月麗陸軍が勝利した。月麗軍は1906年の月麗海海戦?で大勝した。その後月麗・ルキア両国で厭戦ムーヴが高まったことで講和条約のリナ条約?が締結された。この条約の結果、カルパ列島・イベロニス地方をルキアは割譲し、月麗は列強の仲間入りを果たした。
1893年、帝朝地方の権益を手に入れる為、当時帝朝の全域を支配していた帝朝王国?に併合条約書を送ったが、帝朝王国の宗主権を握っていた大霊帝国と敵対し始める。1894年3月6日、月麗軍は江督島沖に砲撃を開始(江督島沖海戦?)、月霊戦争?が勃発した。技術力・士気・練度全てで勝る月麗艦隊は帝朝・大霊の連合艦隊を壊滅させ、帝朝に上陸した。すぐさま帝朝王国林桟道の賀丘に進撃した。(賀丘会戦?)祭譲の戦い?でも勝利を納め、帝朝王国全土を掌握すると、月麗軍は山海から兎墳半島に上陸しようと考え、山海で大霊帝国主力艦隊と衝突した。(山海海戦?)結果、月麗海軍は勝利し、大霊帝国は主力艦隊の6割を失う大損害を被り、大霊帝国は制海権を失った。その後、大霊帝国は降伏し、黒山条約?が締結された。この条約の結果、帝朝、韓朗を領土に組み込んだ。また、幕府時代の従属国だった蛇蓮王国?においては1902年に月蛇併合議定書?が結ばれ月麗が県として併合した。
1905年、ルキア帝国?は東アリアに利権を得るために南下政策を推し進めていた。月麗は東アリアの利権を守るためルキア帝国と対立するようになり、同年6月7日のルキア人ヴチャーノフ?による月麗人刺殺事件?により緊張は最高潮に達する。月麗政府はルキアに最後通牒を送り、ルキアがこれを拒否したため月麗はルキアに宣戦布告し7月24日に月流戦争?が勃発した。まず月麗軍は慮州要塞を砲撃(盧州包囲戦?)、月流戦争?が始まった。盧州包囲戦と並行して行われた仁江沖海戦?で月麗軍は勝利し、陸では高春会戦?で月麗陸軍が勝利した。月麗軍は1906年の月麗海海戦?で大勝した。その後月麗・ルキア両国で厭戦ムーヴが高まったことで講和条約のリナ条約?が締結された。この条約の結果、カルパ列島・イベロニス地方をルキアは割譲し、月麗は列強の仲間入りを果たした。
1923年6月2日、ラマリア合衆国で起こった株価大暴落によって世界恐慌?が始まった。月麗にも影響は及び、瀧原玲一郎?内閣が行った経済政策の失敗によって封銀恐慌?が始まった。瀧原内閣は責任を取り辞職し、後任に澤野藤樹?内閣が成立した。しかし瀧原内閣の時代の政策失敗により民意は政党内閣よりも軍部に傾いていた。その為澤野内閣も短命に終わり、その後の内閣も明確な対策が出せないまま年月が過ぎた。この間政党内閣は民意を完全に失い、軍部への信頼を強めた。
1926年に陸軍強硬派の金城将司?内閣が成立すると恐慌打破の為肥沃な天華民主国?の満原地方を欲するようになり、1927年には天華民主国に圧力をかけるようになった。また、ウェルタティアではウェラス?・クロミア?と対社会主義・対自由主義の名の下に結託し、7月18日に月燕玖相互防衛協定?が締結された。結果ラマリア・エルティアなどウェラス・クロミアを仮想敵国としていた国家と激しく対立することとなった。
1928年5月に金城内閣に代わり陸相判条英満?が内閣として就任し、独裁的な国家社会主義の軍事政権を発足させた。天華に膨大な権益を持っていたラマリアは平和と民主主義の大義名分の下月麗に経済制裁を決行し、エルティアや徹底反月宣言で月麗に徹底抗戦を訴えた天華もこれに参加し、RET経済包囲陣?が結成された。特にラマリアの石油輸出禁止は月麗に大きなダメージを負わせ、世界大戦?中の海外侵略の遠因にもなった。
1926年に陸軍強硬派の金城将司?内閣が成立すると恐慌打破の為肥沃な天華民主国?の満原地方を欲するようになり、1927年には天華民主国に圧力をかけるようになった。また、ウェルタティアではウェラス?・クロミア?と対社会主義・対自由主義の名の下に結託し、7月18日に月燕玖相互防衛協定?が締結された。結果ラマリア・エルティアなどウェラス・クロミアを仮想敵国としていた国家と激しく対立することとなった。
1928年5月に金城内閣に代わり陸相判条英満?が内閣として就任し、独裁的な国家社会主義の軍事政権を発足させた。天華に膨大な権益を持っていたラマリアは平和と民主主義の大義名分の下月麗に経済制裁を決行し、エルティアや徹底反月宣言で月麗に徹底抗戦を訴えた天華もこれに参加し、RET経済包囲陣?が結成された。特にラマリアの石油輸出禁止は月麗に大きなダメージを負わせ、世界大戦?中の海外侵略の遠因にもなった。
1929年に月麗・ウェラス・クロミアで相互防衛協定から進展した月燕玖三国同盟?が締結され、中枢国?という陣営が結成された。エルティア・ラマリアと月麗の間での対立はさらに深まった。1931年にウェラスによるエレジア併合?に感化された判条内閣は同年5月8日、天華の臺禄?と秦徳?に進駐し、(聯桟湖事件?)月麗・天華間での戦争である月天戦争?が勃発した。5月下旬までに月麗軍は東貌?や遼條?を陥落させ、6月には湾代?と兎督?を陥落させた。11月上旬から下旬にかけて月麗軍は天華民主国首都界都?で民間人3万人を虐殺し、民家や役所など実に40000もの建物を放火、または爆破した。(界都大虐殺?)また、1932年2月の時点で天華主要都市をほとんど陥落させた。天華主席張宗義?は首都を永慶?に移し再度抵抗を続けた。
1932年4月23日、ウェラスはトルマイト?に侵攻を開始、トルマイトと安全保障条約?を締結していたエルティア・アルシア?の連合国?はウェラスに宣戦布告し、またクロミアも同盟に則り連合国に宣戦布告、世界大戦?が勃発した。11月5日ラマリア外相ヴィバンマ・ハイマリア?は月麗に対し三国同盟の破棄や天華からの撤退などを要求したハイマリア書簡?を突き付け、48時間まで返答を待ったが月麗外相の形部恭二?は48時間経ってもこれを黙殺し、ラマリア・月麗間の平和交渉は決裂した。
11月7日、月麗艦隊はラマリアの間接統治下にあったケレアル諸島のサンベルト海軍基地を攻撃し(サンベルト海軍基地攻撃?)、中央洋戦争?が勃発した。すぐさまケレアル諸島を占領した月麗軍は11月23日のエルナジア諸島海戦?でラマリア海軍を撃破、ボラニアのウィーファン?とグスヴァーヴァ?に上陸を仕掛け、3ヶ月に渡る激戦の末全土を占領した。ランディカでは中枢国側だったアンシェリア連邦帝国?が1933年1月にアドルス地方での領土問題を背景としてアルジナ王国?に奇襲攻撃を決行、月麗も同盟国への支援と資源確保のためアルジナのラタ軍港に上陸(ラタ作戦?)し、アルジナを挟撃した。
1933年2月に月麗はウェラスが占領したことでオルクセンド王国の亡命政府が樹立されていたオルクセンド領オルフォレイ諸島?に侵攻を開始、ヘルトスピア連邦?フェラー半島にも上陸し、リザマ山脈以北のヘルトスピア領を占領した。この時長らくヘルトスピアと対立していた南ヘルトスピア共和国?に挟撃を呼びかけたが南ヘルトスピアは協力せず、対月麗で逼迫したヘルトスピアにヤルツ島の割譲の圧力をかけ、割譲させたのみだった。天華戦線?では永慶に遷都した天華国民政府(天華民主国)と内紛により敵対状態だった天華共産党?と興冊事件?を契機に協力し(二党協力?)、対月民族防衛戦線を立ち上げた。天華の人海戦術とゲリラ戦を前に戦線は膠着し、月麗軍のエングル地方への進撃は止まった。陸軍総司令官大倉俊道?は、この進撃の停滞を元澱を経由した張宗義への支援ルートである「援張ルート」にあるとし、アルシア亡命政府?の植民地だったアルシア領西アリア?(元澱)に侵攻を開始、他の同盟国も元澱に侵攻を開始した。ランディカでも1933年4月上旬からセガリア山脈までへの攻勢として甲号作戦?が決行され、アルジナ王ディシャーマ3世?を亡命に追いやった。天華戦線では清海国?皇帝墺暫繪?が天華北部の導紗?や弥忠?に侵攻し、占領した。イア島やネルサ島にも月麗軍が上陸し、最大版図に達した。11月23日、ボラニア付近のアレイスト環礁にてアレイスト海戦が勃発する。戦争準備が整ったラマリア海軍は月麗海軍を撃破し、空母6隻を失う大損害を被った。ラマリアは根本的な国力や資源量と物量、練度の高さを背景にマケラ島沖海戦?やアグルス島の戦い?で相次いで勝利した。オルフォレイ諸島ではラマリア海軍がタンブルー島に上陸し、オルクセンド軍はラマリア軍との連携でオルフォレイ諸島を奪回した。
1934年にはウィシマ島、クブヴォ島、ヴァールマーズ島など南部中央洋の島々がヘルトスピア、ラマリア連合軍により陥落され、中央洋の制海権と制空権を5月までに喪失した。9月にはアンシェリアのアラグ半島にエルティア海軍が上陸し、分裂した各軍閥を平定したアルジナ国民政府?もアンシェリアのロジェジュ?やチェバ?に侵攻を開始、陥落させた。
1935年7月には激しい抵抗の末アンシェリアが降伏し、月麗もランディカから撤退した。8月には月麗の直接統治下にある墨仙島が陥落、判条内閣は責任を取り退陣した。代わりに小嶋光信?が組閣したが、政党内閣の復活を目論んだため軍部により失脚され短命に終わった。
1936年にはクロミアやその他中枢国が次々に降伏し、元澱でもアルシア亡命政府が植民地を奪還し、月麗領にも進軍した。5月6日に蛇蓮島上陸作戦?が、5月24日に麗奈島の戦い?が勃発し、ラマリアは勝利した。8月12日に韓朗島がラマリア軍によって陥落し、月麗は月麗列島近海の制海権も喪失した。
1937年4月8日、ウェラスが降伏し、同盟国を失った。5月13日ウェラス首都ゲルタス?でエルダク会談?が開かれ、月麗への無条件降伏を促すエルダク宣言?が発表されたが、月麗首相岡山凌太朗?は月皇制の維持が明記されていないことを理由にこれを黙殺した。6月21日、ラマリア空軍が月麗南西の島城市に原子爆弾を投下、14万人以上が死亡した。22日に封銀月皇?の下で御前会議が開かれ、無条件降伏が決定された。翌日6月23日に無条件降伏を発表し、大戦は終結した。
11月7日、月麗艦隊はラマリアの間接統治下にあったケレアル諸島のサンベルト海軍基地を攻撃し(サンベルト海軍基地攻撃?)、中央洋戦争?が勃発した。すぐさまケレアル諸島を占領した月麗軍は11月23日のエルナジア諸島海戦?でラマリア海軍を撃破、ボラニアのウィーファン?とグスヴァーヴァ?に上陸を仕掛け、3ヶ月に渡る激戦の末全土を占領した。ランディカでは中枢国側だったアンシェリア連邦帝国?が1933年1月にアドルス地方での領土問題を背景としてアルジナ王国?に奇襲攻撃を決行、月麗も同盟国への支援と資源確保のためアルジナのラタ軍港に上陸(ラタ作戦?)し、アルジナを挟撃した。
1933年2月に月麗はウェラスが占領したことでオルクセンド王国の亡命政府が樹立されていたオルクセンド領オルフォレイ諸島?に侵攻を開始、ヘルトスピア連邦?フェラー半島にも上陸し、リザマ山脈以北のヘルトスピア領を占領した。この時長らくヘルトスピアと対立していた南ヘルトスピア共和国?に挟撃を呼びかけたが南ヘルトスピアは協力せず、対月麗で逼迫したヘルトスピアにヤルツ島の割譲の圧力をかけ、割譲させたのみだった。天華戦線?では永慶に遷都した天華国民政府(天華民主国)と内紛により敵対状態だった天華共産党?と興冊事件?を契機に協力し(二党協力?)、対月民族防衛戦線を立ち上げた。天華の人海戦術とゲリラ戦を前に戦線は膠着し、月麗軍のエングル地方への進撃は止まった。陸軍総司令官大倉俊道?は、この進撃の停滞を元澱を経由した張宗義への支援ルートである「援張ルート」にあるとし、アルシア亡命政府?の植民地だったアルシア領西アリア?(元澱)に侵攻を開始、他の同盟国も元澱に侵攻を開始した。ランディカでも1933年4月上旬からセガリア山脈までへの攻勢として甲号作戦?が決行され、アルジナ王ディシャーマ3世?を亡命に追いやった。天華戦線では清海国?皇帝墺暫繪?が天華北部の導紗?や弥忠?に侵攻し、占領した。イア島やネルサ島にも月麗軍が上陸し、最大版図に達した。11月23日、ボラニア付近のアレイスト環礁にてアレイスト海戦が勃発する。戦争準備が整ったラマリア海軍は月麗海軍を撃破し、空母6隻を失う大損害を被った。ラマリアは根本的な国力や資源量と物量、練度の高さを背景にマケラ島沖海戦?やアグルス島の戦い?で相次いで勝利した。オルフォレイ諸島ではラマリア海軍がタンブルー島に上陸し、オルクセンド軍はラマリア軍との連携でオルフォレイ諸島を奪回した。
1934年にはウィシマ島、クブヴォ島、ヴァールマーズ島など南部中央洋の島々がヘルトスピア、ラマリア連合軍により陥落され、中央洋の制海権と制空権を5月までに喪失した。9月にはアンシェリアのアラグ半島にエルティア海軍が上陸し、分裂した各軍閥を平定したアルジナ国民政府?もアンシェリアのロジェジュ?やチェバ?に侵攻を開始、陥落させた。
1935年7月には激しい抵抗の末アンシェリアが降伏し、月麗もランディカから撤退した。8月には月麗の直接統治下にある墨仙島が陥落、判条内閣は責任を取り退陣した。代わりに小嶋光信?が組閣したが、政党内閣の復活を目論んだため軍部により失脚され短命に終わった。
1936年にはクロミアやその他中枢国が次々に降伏し、元澱でもアルシア亡命政府が植民地を奪還し、月麗領にも進軍した。5月6日に蛇蓮島上陸作戦?が、5月24日に麗奈島の戦い?が勃発し、ラマリアは勝利した。8月12日に韓朗島がラマリア軍によって陥落し、月麗は月麗列島近海の制海権も喪失した。
1937年4月8日、ウェラスが降伏し、同盟国を失った。5月13日ウェラス首都ゲルタス?でエルダク会談?が開かれ、月麗への無条件降伏を促すエルダク宣言?が発表されたが、月麗首相岡山凌太朗?は月皇制の維持が明記されていないことを理由にこれを黙殺した。6月21日、ラマリア空軍が月麗南西の島城市に原子爆弾を投下、14万人以上が死亡した。22日に封銀月皇?の下で御前会議が開かれ、無条件降伏が決定された。翌日6月23日に無条件降伏を発表し、大戦は終結した。
6月28日、首相岡山凌太朗?はラマリア戦艦ジャーディアで降伏文書に調印し、
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